2月2日。
 今日は、実父である、ぼー祖父の命日。
 キリスト教的な言い方をするならば、召天記念日だ。

 2018年2月2日なので、ええっと5年経つんだな。
 あの日、私は大風邪を引いていて、寝込んでた。

 そんな中で午前中に、ぼー祖父にモルヒネが投薬されたと連絡を受けた。

 それ以前に、ぼー祖父の主治医に「ぼー祖父が辛そうなので、モルヒネみたいな痛みの感覚を軽減させるような処置はしてもらえないんですか?」と聞いたことがあった。
 すると、主治医は「そうするのは簡単ですが、そうなるともうお父様の意識がなくなりますし、対話も難しくなります。だから、まだその処置はしない方がいいと思います」と。

 だから、いよいよ、ぼー祖父の容態がますます悪化したのだな、と、熱に苦しめられつつも思った。

 しかし。
 その日の午後遅くだったか、夕方だったか。

 「ぼー祖父が危篤だ」という連絡が入った。

 私はトイレに立つのさえも辛いほどの体で、高熱で、「無理。今、風邪で寝込んでるから。病院へは行けない」と、伝えた。

 あの連絡をくれたのは、実母であるところのぼー祖母だったろうか。

 結局、ぼー祖母や、弟のたけ氏ややす氏達に、その後のことは任せることしかできなかった。

 私が事前にぼー祖母と共に葬儀社を事前に訪ねて、諸々の手配の段取りを済ませていたけれど。

 ぼー祖父の葬儀は、浄土真宗の仏教式で、その一週間後に執り行われることになった。
 お通夜と葬儀の頃には、さすがに風邪も治って、葬儀社でぼー祖父の遺体と一夜を共にするくらいはできたんだけど。
 ダンナはんとひなぼーと共に。

 今思い出してみても、あのぼー祖父が天に召された日。
 なぜ、あのタイミングで私は所謂、ぼー祖父の死に目にも会えず、寝込んでいたのだろうか。

 確かに、ほぼ毎週、自宅と実家と病院に足を運び続ける日々が続いていた。
 だから、疲れもあったろう。
 それに、まだコロナ禍前だったので、手洗いうがいの徹底も私自身、できてなかったろう。
 マスク着用なんて絶対に嫌だったから、自分の体調管理は後回しだったことは否めない。

 こんなに急にいなくなってしまうなんて思わないで、また当たり前のように病床のぼー祖父のもとに行くんだと思っていたのに。

 ぼー祖父の死を受けれないわけにはいかないくらいに、いろいろな手続きがあって、それを実際に担当してくれたのは弟たちだったけれど、それでも一応、相談はあったから、それらに対応するうちに、「ぼー祖父は天に召されたのだ」ということを受け入れていったと思う。

 でもそうだな。
 ぼー祖父の死を悼んで、大いに泣くキッカケは完全に逸したまま、5年が過ぎてしまってる。
 そして、今更、もう大いに泣くことはないんだろうと思う。

 ぼー祖父が実家に帰省してもいないということが当たり前になっている。

 2018年2月2日。

 ぼー祖父は、生きて、ひなぼーに都立高校の制服を仕立て、甥のりっくんの小学校入学に向けてのランドセルを仕立てると言ってくれていたけれど。
 彼らが忌まわしき新型コロナウイルスの世界的な蔓延が始まってまもない頃の2020年4月に共に、ひなぼーが高校へ、りっくんは小学校に進学するまでは生き延びることができなかった。

 考えようによっては、その頃までぼー祖父が生き延びていたとしたら、葬式すら満足にできなかったかも知れない。
 面会も禁止されていたし、それこそ、あの日は私が駆けつけれなかっただけだけど、2018年2月2日だったから、ぼー祖母も、弟たちも、意識こそもうなかったろうけれど、ぼー祖父の最期に駆けつけることができたんだ。

 だって、2019年12月に、忌まわしき新型コロナウイルスは中国の武漢にて最初の感染者が報告されていたのだ。

 それから、2020年1月から2月にかけて、クルーズ船ダイヤモンドプリンセス号の船内感染に端を発して、愚かにも2020年の春節に何の対策もせずに日本で観光客を受け入れてから、この国にも新型コロナウイルスによるパンデミックが始まったのだ。
 2020年3月に、卒業式を執り行うかどうかも、ひなぼーの中学校ではギリギリで中3の担任団の交渉で決まったような状況だった。
 2020年3月2日からの突然の政府による一斉臨時休校により、卒業を控える子どもたちの大事な時間が奪われたからだ。

 そんな状況下だったから、あれほど弱っていたぼー祖父が生き延びていられたとしても……。

 
 ひなぼーは、ぼー祖父が世を去った後、てっきり都立高校の進学を志すのかと思いきや、紆余曲折あって、片道1時間半もかかる都内のミッションスクールの女子校の高等部に推薦入学で進学してしまった。
 その進学先の高校では、入学式は中止された。
 幸い、iPad利用した教育を取り入れていた学校だったので、すでに入学時に買い取ったiPadを通じて、オンライン授業から、ひなぼーの高校生活はスタートしたのだった。

 そんなことをぼー祖父が知ったら、なんて言ったろうなぁ。

 そうして、今春、ひなぼーは、その高校から指定校推薦を受けて、ミッションスクールの大学で心理学を学ぶことができる資格をすでに得ているのだ。

 年月が経つのは、早いもんだね。お父さん。

 もしかして、もう知ってるかも知れないけど、ひなぼーは大学からの入学前の課題のレポートに取り組んでて忙しそうだよ。ていうか、古い吉本新喜劇をBSの放送で発掘して喜んでる時間の方が多いかも知れないけど。
 そして、高校も、もうすぐ卒業だってさ。

 生きている私は、こうしてオタオタしながら地上でのうのうと図々しく日々を送っている訳だけども。
 確か、お父さんが召されてしまう3週間前だかそこらだったっけ?
 死ぬことを怖いなと言ってたお父さんに、私が信じてる神様の話をしたよね?
 イエス・キリストが招こうとしてる天の御国では、永遠の命を生きることができるんだよって。
 「そうかぁ。そうだったらいいなぁ」って、お父さんは言ってくれたよね。
 聖書には、イエス様を受け入れている者の家族も天の御国に招かれるって書いてある箇所があったんだよ。
 極楽浄土も悪くもないのかも知れないけれどもさ。
 私は天の御国でお父さんも平安の中にあってのんびりしてて欲しいなぁって思ってるんだよね。
 そうしたら、私が地上での日々を終えた後、またお父さんに会えるんだもんね。
 洗礼は間に合わなかったけれども。
 もし、私の話したことを思い出して、最期の瞬間、イエス様を求めてくれてたらいいなって思ってる。

 お父さん。
 願わくは、また天の御国でお会いできますように。

 主よ。どうかそれまで、我が父の魂をよろしくお願い申し上げます。